「ニコマコス倫理学」
みるからに難しそうな題名ですよね。
しかも、文庫本で500ページが上下巻あります…
加えて、講義ノートなので少し読みにくい部分もあります…
しかし、倫理学の源流であり、現代にも普遍的に通用する程の知見が
盛り込まれてもいるので、読む価値は大いにあると私は思います。
その中から、特に重要だと感じた部分をお伝えします。
少しでも「ニコマコス倫理学」に触れる人が増え、
人生をより良くしていく方が現れてくれれば幸いです。

前提知識
まず、アリストテレスとはどういう人だったのか。
彼は古代ギリシアを代表する哲学者で、プラトンの弟子にあたります。
プラトンの死後は、かの有名なアレクサンドロス王の庇護下で、自身の学園である
リュケイオンを創設しました。
彼の研究は多岐に渡り、現代に繋がる学問体系を1人で整備し、それを会得していた
と言い伝えられてます。
それ故か、彼は「万学の祖」という大層な2つ名まで持っています。
そんな彼が「幸福になる方法」を伝えるために著したのが「ニコマコス倫理学」
なのです。

※ちなみに、「ニコマコス倫理学」の「ニコマコス」気になりますよね。
これは、アリストテレスの息子の名前という説が現在の主流だそうです。

幸福と徳(アレテー)
さて、ここから本題です。

アリストテレスは幸福が”完全な徳(アレテー)に基づく魂の何らかの活動”であると
述べています。
よって、徳の説明から始めます。これさえわかれば、ニコマコス倫理学のエッセンスを
大体理解できるといっても過言ではないと私は思います。

『徳』には3つの要素があると私は考えます。
1:快楽・苦痛と密接に関わっている
2:中間性が必要
3:予め活動して得るもの

1つずつ、簡単に説明していきます。

1:快楽・苦痛と密接に関わっている
アリストテレスは
”我々は快楽ゆえに劣悪なことを為し、また苦痛ゆえに立派なことを敬遠するのである”
と述べています。
例えば、恐怖に対する反応です。
恐怖に対して快楽を覚えるなら、もはや無謀としか言えないでしょう。
逆に、必要以上に苦痛を感じて何もできないなら、臆病と言えるでしょう。
そして、適切に苦痛を感じながらも立ち向かうことを、勇気といえるでしょう。
アリストテレスが言うには、勇気は徳の一部となります。
快楽・苦痛を判断基準としてもつことで、徳とは何かと考えることができます。
よって、徳が快楽・苦痛と密接に関わっていると言えるでしょう。


2:中間性が必要
聞いたことがある人もいるでしょうが『中庸』とされるものです。
世の中にある大体の物事はバランスが大切ですよね。
一番身近な例は食事でしょうか。
過食は肥満になり、拒食は栄養失調となる。
適切な量の食事を取ることで健康を保つことができますよね。
これは、人間の性質にも当てはまります。
”善い人間の在り方はただ1つしかないが、悪人どもにはありとあらゆる道がある”
とアリストテレスも言ってます。
両極端を避け、適切な行動を選択することが徳には求められるのです。
よって、徳には中間性が必要であると言えるでしょう。

3:予め活動して得るもの
見て分かる通り、アリストテレスは実践を重視しています。
どれだけ徳を理解していても、徳とは何かという議論に逃げているだけでは、
一向に徳を成すことはできないと語っています。
理想論ばっかり語っていて、何もしていない人、周りにいませんか?
そういった人は理想を成した人と言えるでしょうか?
そう考えると実践はかなり重要なものですよね。徳も似たようなものだと私は思います。
よって、予め徳に基づいた行動をすることでしか、徳は成すことができないのです。


幸福になるには
徳の持つ3つの要素を知った上で、習慣の力が必要であると考えます。
その方法として、自己分析→実践→継続を行います。
まずは自身の精神活動の傾向を知る、自己分析から始めることが必要です。
快楽に関する反応、苦痛に関する反応は人それぞれで傾向が異なります。
自身の傾向を知り、反対方向の傾向を目指す行動を実践します。
そして、中間にいずれ辿り着き、それを継続することで習慣となります。
それを達成したとき、徳を成し、人は幸福になっていると私は思います。