哲学者がどの様にしてナチスと関わってきたか。その視点からナチスを見てみた事がなく、ハイデガーがナチスに協力的だった事、アーレントのナチス批判、ヤスパースが対抗したなどの有名な話をざっくりと知ってるだけだった。だからもっと知りたかった。この本には細かく書いてあり、ドキュメンタリーを見てる様だった。
ヒトラーは決して、ナチスの哲学を作った訳ではない。ニーチェやカント、ヘーゲルの思想をドイツ人好みのナショナリズム味に仕上げただけ。そこだけでも衝撃だった。確かに、ドイツの偉大なる哲学者の思想を抽象化し、転用したヒトラーは悪い意味で有能であったかもしれない。だが、資料を読む限りでは本質的な所までは理解していなかった。何も考えない市民を味方につける程には効果はあった様だが…
しかし、個人的な意見ではハイデガーの協力が大きな効果を生んだのかと思う。「存在」という概念に挑み、哲学書の中でもトップクラスに難解であると言われている「存在と時間」を著した哲学の権威の協力であるからだ。
ハイデガーはその点において、罪人と言ってもいいのかと思う程である。
ニュルンベルク裁判でのハイデガーへの罰は授業の禁止と一時的は金銭面の制裁のみであった。しかもこれは後に解除された。この本の著者は「哲学は道徳学の子孫である」と言っている。確かにそうである。高校の授業でも倫理の中に哲学が含まれている。ということは、哲学者は道徳に優れているはずである。しかし、道徳に反する殺人、それを超えたホロコーストに哲学者が加担したのである。これを忘れてはならない。
そして我々は2度と全体主義に沈んではならない。そこでは誰でも悪になりうる。現代の日本も例外ではない。権威や政治家の思想をそのまま受け入れてはならない。考えて受容するのは悪であり、愚かな行為である。これは自明であろう。
だが、考えずに受容するのも愚かである。
無自覚の悪も非常に危険である。なぜなら他人の正義を自分の物だと思い振りかざしているからだ。そういった民衆が増えるといつかのナチスや大日本帝国の様になりうるのである。
そうならない為にも、常に自分の中の矛盾や葛藤と闘い、教養を身につけ、考え続けねばならない。そうしなければいつかは無自覚の悪人になってしまうのであるから。