だっちです。


今回は、王陽明「伝習録」の中で印象に残った句について書いていきたいと思います。


今回は特に「修養」というテーマに関係する句を中心にブログを書いていきたいと思います。


それでは、行きましょう!



・志を立てよ


志立たざれば、舵なき舟、銜(つくわ)なき馬の如し。漂蕩奔逸して、終にまた何の底る所ぞや。1



「うわまた言っとんな。」と思うくらいには、
皆さんは「志を立てよ」というセリフ、聞き飽きてますよね😂


無論、陽明も同じことを言っていますが、


この句においてのポイントは、
「志を立てないと、自分にとっての最終的なゴールは見えない。
ゆえに志を立てなければ、あなたはただ流されるだけの人生を送ってしまい、このままだと最終的にどんなところにも到達しないよね。」



陽明はこんな事が言いたいわけです。


いや〜、耳が痛くなってしまうほどの正論ですね😂


まあ、自分の中に軸を持つことは大切だと思います!


・物事への向き合い方


樹(き)を種(う)うる者は必ずその根を培(つちか)い、徳を種うる者は必ずその心を養う。樹の長ずるを欲せば、必ず始生(しせい)の時に於(お)いて、その繁枝(はんし)を刪(けず)れ。徳の盛んなるを欲せば、必ず始学の時に於いて、夫(か)の外好(がいこう)を去れ。2



この句を通して陽明は、物事に取り組み始める際には、まず根本(基礎)からしっかり固めていくべきだと言っています。


また陽明は、そのためには、物事に対する先入観や思い込み、半端な知識などを捨てて、一旦まっさらの状態からその対象にコミットするべきだとも言っています。


まあつまり、物事に取り組む際には、心を「無」にして、その根本を中心に取り組むことが必要だ!と陽明は言っているわけです😂


私たちは何か新しいことを始める際に、いらない心配をしてしまったり、萎縮したり、不安になったりします。


でも、そんなことをする必要はないのだと。
心を「無」にして、正しい手順でやるべきことをやれば良いのだと。


僕には、陽明がそんなことを伝えたがっているような気がします。


さあ、次の句にまいりましょう!




山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。



まあそうですよね。心の中に渦巻いている不安や雑念を取り除けって言われても、すぐには難しいわけです。


陽明もそのことを認めています。


ですが、


それ数頃(すうけい)無源の塘水(とうすい)とならんよりは、数尺有源の井水(せいすい)、生意(せいい)窮(きわ)まらざるものとならんには若(し)かず。



この句で陽明は言っています。


「何もしないよりは何かした方がいい。」


と。


間違いありませんね。ゆっくりでも進み続ける。
そのことが自らを高める上では不可欠な事柄になってきますね。


さあ、続いての句に参りましょう!


・事上磨錬


人はまさに事上に在って磨錬し、功夫をなすべし。すなわち益あり。若しただ静を好まば、事に遇いて便ち乱れ、終に長進なく、那の静時の功夫もまた差(たが)わん。3



陽明は、禅や瞑想に没頭していた時期がありました。
ただその後、彼はこれらには意味がないと考えるようになりました。
(ちなみに、朱子も同じことを言っています)


それはなぜなのでしょうか。

陽明曰く、いくら静かな環境で自らの心を純粋無垢なものにできたとしても、
現実社会は静的環境よりも複雑であるから、外の世界で瞑想と同じように自分の心をコントロールすることができるはずがない。

つまり、禅や瞑想は、現実社会において自分の価値を高めることには繋がらない。だから、禅などの瞑想などには意味がない。


それよりも、現実社会に出ることによって、自らを鍛える。修養する。
その結果、実社会における自分の意志や行動が変わる。

それこそが本当の「修養」なのだと。

陽明はこういう事を言いたかったようです。
ちなみに、陽明のこのような考え方は「事上磨錬」と呼ばれています。


自分としては、「事上磨錬」は考え方としてすごく正しいなとは思いますが、
禅や瞑想には、実社会で最高のパフォーマンスを発揮するための心の整理や養生、療養(?)のような働きがあると考えているので(間違っていたらごめんなさい😂)

ある意味では「修養」に繋がるものなのかなぁ。と勝手に思っています😁


さあ、続いての句にいきましょう!


・物事の正否をどう判断するか?


夫れ学は之を心に得るを貴ぶ、之を心に於いて求めて非なるや、其の言の孔子に出ずと雖も、敢て以って是となさざる也。之を心に於いて求めて是なるや、其の言の庸常(ようじょう)に出づと雖も、敢て以て非と為さざるなり。
(ここで庸常という言葉は、「普通の人、凡人」という意味で使われています。)



学んだ事の正否は、自分の心の中の納得感を第一として判断せよ。


もし本当に納得したなら、凡庸な人々の考えと自分の考えとが同じだとしても、その納得感に従って生きれば良い。


また、自分と違った考えを孔子が持っていたとしても、孔子の考えを否定したっていい。


つまり自分にとって「何が正しいのか」を決めるのは、自分の心である!


だから、自分の信じた道を行け!



陽明からの熱いメッセージを自分なりに翻訳してみました😂
皆さんにも陽明の熱さが届くと嬉しいです。


さあ、最後の句に参りましょう!





・逆境への向き合い方


天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ず先ずその楽しむところに違い、しかしてこれをその欲せざる所に投ず。



天がその人に大きな任務を授けようとする時には、必ずまずその人に苦しみを与え、その人の志に反する境遇に陥れる。


だから、自分に逆境が襲ってきても、それを嘆くことはない。


そのような場合は、2番目に紹介した句にも見えるように、心を『無』にして目の前のことに向き合えば良いし、


直前に紹介した句にも見えるように、自分の納得感を第一にして進むのが良い。


そうすれば、道は開ける。


陽明の言いたいことは、こんなところですかね😂
いかがでしたでしょうか。




・まとめ


最後に、陽明がこれらの句を通して言いたかったことをまとめて終わりにしたいと思います。



四事を以って相規し、聊か以って諸生の意に答えん。一に曰く立志、二に曰く勤学、三に曰く改過、四に曰く責善。それ慎んで聴き忽にする毋かれ。



陽明は、とりあえず4つのことを意識しようと言います。

それは、

志を立て、勉強に励み、間違ったら改めて、自分の行いが人の道にかなっているか。



いや〜、すっきりまとまっていますね😂


まずはこの4つを意識して、私たちも生活すべきですね😊




・おわりに


皆さん、いかがでしたか?


長くなってきましたので、今回はこのくらいで締めておきたいと思います。

割と急いで書いたので読みにくい部分もあったとは思いますが、(笑)
最後まで読んで下さり、ありがとうございました😊




・注釈


1: 同様の趣旨の句を参考として載せておきます。


それ学は志を立つるよりも大なるはなし。志の立たざるは、なおその根を植えずして、徒らに培養灌漑することを事とするがごとし。労苦するも成るなし。



2: 同様の趣旨の句を参考として載せておきます。


世は第を得ざるを以て恥となす。吾は第を得ざるを以て心を動かすを恥となす。



3: 同様の趣旨(辛い時の考え方について)の句を参考として載せておきます。


簿書訟獄の間も、実学に非ざるはなし。若し事物を離れて学をなさば、却ってこれ空に著(つ)くなり。