大学一年の頃、私には奇妙な関係の友人がいた。

私の高校時代はバスケ部一色の毎日。私は補欠で、同期のK君は2年の時からレギュラーだった。
彼はバスケも上手いが勉強もできる男。ただ、いかんせん人当たりがキツく、正直に言えば苦手なタイプだった。

部活でよくつるむ仲間も、利用する電車の方向で自然と分かれていたが、彼とは逆方向だったことも、心の距離を広げていたのかもしれない。


浪人が当たり前だったバスケ部で、大学に現役合格したのは、私とK君の二人だけだった。彼は東大へ、私は都内の私大へと進学した。

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大学生活にも慣れてきた一年の半ば頃、不思議なことに私とK君は2人で会うようになった。高校の時には一度もそんな機会はなかったが、他みんな浪人生で声をかけにくかったのかもしれない。

二人で会う時は飲み明かすでもなく、合コンやクラブで騒ぐ訳でもない。僕らがしていたのは、なぜか決まって渋谷での「カラオケオール」だった。


23時に駅前で合流し、朝まで互いの歌を聴くでもなく同じ部屋で交互に喉をつぶすように歌い続ける。会話らしい会話もない。ただ同じ空間で時間を潰し、朝に解散する。そんな夜が、幾度かあった。
※ちなみにどちらも歌は聞くに堪えないほどで下手ではないが、上手くもない。

後から聞いた話だが、彼は東大で孤立していたらしい。派手な銀髪(すぐにただの金髪になったそうだが)と、元々の鋭い見た目が災いし、周りから敬遠されていたという。一方の私も、まだスキーサークルに本腰を入れる前で、どこか宙ぶらりんな時間を持て余していた。
互いの空白を埋め合わせるような、言葉にするには難しい関係である。


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大学二年になると、私はスキーサークル活動にのり込み、彼にも大学で気の置けない友人ができたようだった。どちらからともなく、僕らは会わなくなった。
あのつかず離れずの絶妙な距離感は、人生のほんの短い、踊り場のような時間が見せた幻だったのかもしれない。

それから、十数年の月日が流れた。

30歳の時に開かれた、150人もの顔ぶれが揃った大規模な高校の同窓会。賑やかな二次会がお開きになった後、気づけば僕らは二人、カラオケ、ではなく「蒙古タンメン」をすすっていた。そして、あの頃のように多くを語るでもなく、ごく自然に解散した。

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この関係を単に「心地良い」と表現するのは、少し違う気がする。
例えるなら、時々隣の線路を走る、別の電車なのかもしれない。普段は互いの存在すら忘れているが、ふとした瞬間に線路が寄り添い、窓の向こうに同じ方角へ進む彼の姿が見える。その速度や見える景色から、自分の進み具合を確かめるような。


部活、受験、大学生活、そして社会人。人生のステージが変わるたびに、物事を測る物差しは変わっていく。その時々で、お互いにとっての「参照点」のような存在なのかもしれない。


激しく火花を散らすライバルではなかったが、「同じ時間をコートで過ごした仲間」という事実は、静かに、だが確かに存在している。
夏の体育館の暑さや汗で滑る床も、冬の練習でマスクをつけて走る時の息苦しさも、外練の時に見えた夕焼けも。

時間と空間を共有したことは、それだけで価値あることだったのかもしれない。



おわり。