本記事は、OSIRO社のコミュニティ献本企画に参加し、献本を受けて執筆しました。                


「文学はいったい何の役に立つんですか?」

この問いは、まるで文学そのものに値札を貼ろうとする、そんな無粋な響きを持っています。
しかし、時間に追われ、タスクに追われ、成長に追われ、あらゆる物事に「タイパ」「コスパ」を求める現代では、この問いが生まれるのはごく自然なことなのかもしれません。

平野氏は、冒頭の問いに対して、以下のように答えています。

この問いは、答えるのに苦慮する問いでもありますが、
    (中略)
それは”今の世の中で正気を保つため”です。    僕は最近、ほとんどそのためだけに本を読んでいます。

    
この言葉に触れたとき、わたしはある別の言葉を思い出しました。

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。
それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。


これは、マハトマ・ガンジーの言葉です。
時代も場所も異なる二人の言葉が、まるで同じことを訴えているように聞こえます。



「文学は何の役に立つのか」

わたしなりの回答を出す前に、この問い自体を考えるところから始めようと思います。

そもそも、わたしたちは「役に立つ」ことを”絶対善”とする傾向が強いと感じます。
例えば、レジー著『ファスト教養』で語られるような、一般教養はビジネスの役に立つというノリ、ビジネス書を要約するYouTube、有名な映画の倍速鑑賞。
物事の価値を決めるうえで、その行為から得られる効用、つまり何かの「役に立つ」かどうかが、強い物差しになってはいないでしょうか。

文学の価値は、まさに「役に立つ」という物差しそれ自体を疑い、揺るがす力にあるとわたしは思います。

例えば、ある小説を読む。
お世辞にも要領がいいとは言えない、矛盾だらけで、「非効率」な生き方しかできない人物の話。合理的に考えれば、彼の行動は無駄の一言で片付けられてしまうでしょう。しかし、読者はその不器用な登場人物から目が離せなくなり、時に共感し、愛おしく感じてしまう。

この世界は、効率や生産性といった単純に数値化できる尺度では測れないものばかりです。人間の心は常に矛盾や複雑さで満ちており、時にどうしようもなく感情に流されてしまう。物語などを通じて、そんな人間のどうしようもなさ、しかし、だからこその美しさを文学は教えてくれると思います。

そう考えると、文学はある意味で「役に立たない」からこそ、この歪んだ世界で「正気」を保ち続けるために欠かせないというのが、わたしなりの回答です。



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