完結してから2年越しの作品になりますが、先日「チ。-地球の運動について-」という漫画を全巻読みました。
あまりにもおもしろく、感銘を受けたシーンが多かったので、読書感想として、感じたことをまとめようと思います。

あらすじ
本作品は地動説が迫害される世界を描いたフィクションになっています。
以下、Wikipediaから抜粋した本作品のあらすじです。
15世紀前半のヨーロッパの「P王国」では、「C教」という宗教が中心となっていた。地動説は、その教義に反く考え方であり、研究するだけでも拷問を受けたり、火あぶりに処せられたりしていた。その時代を生きる主人公・ラファウは、12歳で大学に入学し、神学を専攻する予定の神童であった。しかし、ある日、地動説を研究していたフベルトに出会ったことで地動説の美しさに魅入られ、命を賭けた地動説の研究が始まる。
キャッチコピーは 「命を捨てても曲げられない信念があるか?世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか?」

自由な思想を持てることはすごく尊いということ

この物語では、地動説を唱えるだけでなく、研究をすることでさえも罰則の対象となり、その様がとてもえげつなく描写されています。
近頃の世の中は、多様性を受け入れる文化がどんどん進んでおり、色んな人が色んな思想を持って生きていくことが容易になっています。こと日本においては、宗教も自身で選べますし、思想に制限がかかるということが現実離れに感じられるくらい、自由にのびのびと生きていける環境が整っています。世界を見渡すと、情報統制がなされている国や、宗教紛争が行わていたりするところもあります。そう考えると、自分は今、思想の自由や、SNSやnoteだったりで気軽に発信できる環境というものに、感謝をしないといけないですし、それがすごく尊いことだということだと認識する必要があると思いました。

文字はまるで奇跡ですよ

本作品のセリフで、「文字はまるで奇跡ですよ。」という言葉があります。
自分はこの言葉に、すごく感銘を受けました。
文字があるから、時代と場所を超越することが出来る。過去の人の話で涙することや笑うこともあれば、文字になった自分の思考が1000年後の誰かの行動に影響を与えることだってあり得る。そんなのまるで奇跡のようなことではないかと、本作品では謳っています。
義務教育が整っている先進国で生まれ育つと、文字の読み書きは当たり前の行為だと考えがちになると思いますが、未だ世界では識字率が100%ではない地域もありますし、これもすごく尊いことだということを認識できます。

歴史は紡がれている

この作品は、章ごとに時が進み、その都度主人公も変わるという構成になっています。どちらかというと「地動説」そのものが主人公のようなものです。地動説を証明することに命を捧げ、情熱を燃やし、自分だけでは到達できないことを悟ると、次の世代に託していく。本作品を読むと、こんなキャラクターたちにどうあっても中てられ、何か滾るものを感じると思います。
実際の歴史の地動説も、コペルニクスが提唱してから、学説的に証明され、世の中に認められるまでに、数百年の時間を要しています。
”今”を生きていると、当時は都合のよかった制度が、変化しないまま残り、不合理を迫られていると感じることがよくあります。ですが、”今”が便利に満ち溢れ、不自由なく生きていけているのは、過去の人たちの功績があって成り立っていることも忘れてはいけないと思います。そして、”今”を生きる自分は、未来に何かしらを残せるように、行動する必要があると思います。こう言うと、すごくハードルが上がるように聞こえますが、必ずしも成功をする必要はないのです。誰かの失敗は、誰かの材料となる。エジソンも「私は失敗していない。うまくいかない方法を 10,000 個見つけたのだ」という名言を残していますから。