https://www.amazon.co.jp/dp/B085NJC1HD?tag=booklogjp-default-22&linkCode=ogi&th=1&psc=1 

【こんな本です】

原子力エネルギーが大きな割合を占めていた1990年代のスイス。
とある小さな村が、核廃棄物の処理場の建設候補地に選ばれた。
事前調査では処理場受け入れに対して51%が賛成だった。
「国が全住民に対して毎年、多額の補償金を支払う」という前提を加えてもう一度調査をすると、賛成派は51%から25%に減ってしまった・・・。
本書の冒頭はこのように始まる。その謎を解き明かそう、というのが本書の試みである。

Mr.childerenの「sign」をご存知の方であれば、signとは何かを考察した本、という言い方をしてもいいかもしれない。

【先に自分なりの結論を】

この世界はアンサングヒーローに支えられた不安定つり合いのボールである。
人間は存在するだけで、潜在的な宛先(受取人)であり、差出人の存在を肯定する。
贈与を受け取るためには、勉強をして求心的思考や逸脱的思考を深めていく必要がある。
贈与を受け取ることができれば、自身も差出人となり、贈与を行うことができる。
贈与を行うことができれば、結果的に宛先から「生きる意味」を受け取れるかもしれない。ただし見返りを求めてはいけない。届くようにと祈るだけである。
市場経済のすきまを贈与によって埋めていこう。

【全体像】

本書は1~9章で構成されている。私なりにざっくり3つのパートに分けてみた。
★贈与やその関連語の説明
1:金では買えないもの~贈与はプレゼントだ
2:ギブアンドテイクの限界~交換とは何か
3:毒親~贈与が呪いに変わるとき
4:サンタクロース~贈与の時間性

★世界の説明
5:この世界の説明~言語ゲーム
6:常識は疑うな~求心的思考
7:地球の自転が止まったら?~逸脱的思考
8:世界は不安定つり合いだ~アンサングヒーロー

★まとめ
9:結論~手紙の受取合い

以下、それぞれ説明していく。

【贈与やその関連語の説明】

【贈与とは何か?~交換・自己犠牲・偽善・呪いと対比して】
本書における贈与は「僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動」と序盤で仮定義される。

交換・自己犠牲・偽善・呪いと対比して説明していく。(ただし正確な説明ではない)

お金で買うことができるものは、贈与ではなく交換だ。
自分へのご褒美で自分にプレゼントを買う場合、それは自分の労働や努力との対価でそれを手に入れている。これは等価交換だ。
一方、他人からプレゼントをもらった場合、そのプレゼントはただのモノではなく特別なモノに変わる。その付加価値が、贈与の性質の一つである。

何も受け取ってない人が何かを差し出すことはできない。無理に差し出すなら、それは自己犠牲だ。
所持金0の人が募金しようと思えば借金するしかない。
愛されたことのない人は、人を愛すことはできない。

対価を求めないのが贈与だが、実は見返りを求めているのが偽善だ。
目上の人へのごますりは、何らかの利益を見込んでいるから偽善だ。
ボランティアであっても、誰かに褒められたいなどの目的が透けて見えると偽善に写る。

偽善を与えられ、何も返せるものがない場合、人は呪いにかかることがある。
家業を継がせたい・老後の世話をさせたいという自分の利益があるにもかかわらず、愛してなどいないのに愛していると欺瞞を装う毒親は、子供に呪いをかける。
呪われた相手は、返礼することもできず、その場を逃げ出すこともできず、束縛されてしまう。

贈与の時間性】
上記の説明から、贈与の性質が明らかになる。

①贈与を受け取った者(受取人)には返礼義務が生じる。

②贈与をした者(差出人)は、差し出したことが気づかれてはいけない
ばれると受取人に返礼義務が生じ、交換になってしまう。
ただ、ずっと気づかれないままでは贈与にならないので、いつかは気づいてもらう必要がある。

③贈与は送ってすぐに気づかれてはいけないが、いつかは気づいてもらわないと贈与にならない。
つまり、必然的に贈与とは不確実である。届かないかもしれないが、いつか届くようにと祈る。未来に対する願いである。

④受取人はどこかのタイミングで贈与に気づく必要がある。
気づいた時点で、その贈与は過去に完了している。

【世界の説明】

【この世界は言語ゲームだ】
次に、本書はこの世界についての説明に入る。
本書によると、この世界の人間の営みは全て「言語ゲーム」である。
これは、実践を通してゲームが成立するがゆえに、事後的にルールというものがあたかもそこにあるかのようにみえるゲームのことだ。
つまり、「ルールもわからずゲームに放り込まれ、何とかやっていくうちに徐々にルールを理解していく」のだ。逆に、ゲームに参加することなくルールを理解することは原理的にできない。

例)人間の言語ゲームに放り込まれた赤ちゃんは「窓」をどう理解するのか?
wikipediaによると「窓」とは「採光、通風、眺望といった目的のために日常は人の出入りに供さない開口部に設置される可動型もしくははめ込み型の建具」である。これを赤ちゃんに説明しても、当然わからない。
窓を指さして「これが窓だよ」と言っても、指さしているものが外の風景なのか、四角形のことなのか、窓枠を構成する木のことなのか、わからない。
「寒くなってきたから窓を閉めよう」とか「窓を見てごらん、お月様だよ」とか活動やコミュニケーションを通して、窓の意味を事後的に理解するのだ。

さて、世界の人間の営みが全て言語ゲームなのだから、必然的に「人間は言語ゲームから逃げることはできない」、ともいえる。また、言語ゲームはある程度の重なりはあるものの、他者と全く同じではない。他者を理解するには相手の言語ゲームに入れてもらったり、共同で新しい言語ゲームを作ったりしていく必要がある

【求心的思考】
「3+5=8」について考えてみよう。
「3+5=8」が正しいという確たる証拠はないにも関わらず、誰も本気で疑おうとしないのはなぜだろうか?それは、「3+5=8」を疑ってしまうと、それ以外の事が成り立たなくなる(=言語ゲームが崩壊する)からだ。

例)3gと5gの分銅と、8gの分銅を乗せて釣り合わなかったなら?
「3+5=8」が間違っているのではなく、天秤の故障などの他の可能性を疑うべきだ。

このように、疑うべきではない常識・合理性・パラダイムを元に思考することを「求心的思考」という。
上の例でいえば、「3+5=8」という常識があるからこそ、天秤が釣り合わないという異常(アノマリー)を見た時に、天秤の故障など他の可能性を考えることができる。

例2)贈与は市場経済のすきまそのものである
現代社会は市場経済という言語ゲームをベースにして動いている。市場における交換が基本として存在するからこそ、贈与にアノマリーとして気づくことができる。

【逸脱的思考】
求心的思考に対して、常識そのものに疑いを向けるのが「逸脱的思考」である。
これはSF的発想であり、根源的問いかけを日常化することでもある。

例)もし地球の自転が停止したら?
太陽光が当たらない土地は極寒の地となり、太陽光が当たり続ける土地は灼熱の地となる。ほとんどの生物は死滅するだろう。

例2)テルマエ・ロマエ:古代ローマ人が現代日本にタイムスリップしてきたら?
銭湯も、冷えたフルーツ牛乳も、ウォシュレットも、ウォータースライダーも、どれも古代ローマ人から見たら常識外そのものである。

【不安定つり合いの世界】
この世界はサッカーボールの上に乗った卵のように、不安定な中で釣り合っている。
卵が落ちないためには支えてくれる手が必要だが、その手は目に見えない(見えにくい)。
世界はそうした無数の「アンサングヒーローの贈与」に支えられて成り立っているのだ。
そうした存在は、得てして気づかれず、何らかの障害があったときに初めて気づかれることも多い。

例)LIBERにアクセスするためにはアバタローさんをはじめとしたLIBER運営チームのメンテナンスが必要だし、パソコンやスマホが必要だし、電気が必要だし、日本語を習う必要がある。それらの整備には日本の成長を支えてきた先人たちの努力も必要だったし、そこそこ平和な状況でなければとても投稿などできないから、自衛隊の抑止力も現代日本の平和な状況に寄与しているかもしれない。

【贈与の受取合いについて】

【贈与の受取人はメッセンジャーになる】
夏目漱石が「I love you」を「月がきれいですね」と翻訳したという逸話がある。
美しい景色を見ると、誰かに教えたくなる。純粋な自然の贈与を受け取ると、誰かにシェアしたくなる。
ここにおいて、贈与の受取人はメッセンジャーへと変わり、贈与を差し出す側に変わる。

【贈与の双方向性】
夏目漱石の例において、もし愛する人が隣にいなければ、きれいな月を共有することはできない。愛する人が隣にいなければ、月をきれいとも思えないかもしれない。
つまり、愛する人(=宛先)の存在によって、月は贈与すべき存在へと変わり、人は贈与を差し出す側(=メッセンジャー)に変わる
言い換えると、宛先という贈与の受取人は、その存在自体が、差出人に「使命」を逆向きに贈与している、ともいえる。
人間は、ただ存在するだけで、その存在自体がそこを宛先とする差出人の存在を肯定するのだ。

【贈与を受け取るために、勉強せよ】
贈与を受け取るためには、想像力が必要だ。そのためには勉強しなければいけない。
例えば歴史を学ぶと、現代日本のように生命の恐怖におびえずに生活できる人が多い時代は決してデフォルトではないことがわかる。
もし過去の時代に自分が生まれていたら、この目に何が映り、何を考え、どう行動するか、をできるだけリアルに想像することで、贈与を受け取りやすくなる。

【まず、贈与に気づくこと】
贈与に気づけば、人間はメッセンジャーになる。その自覚から始まる贈与の結果として、宛先から逆向きに「生きる意味」が、偶然帰ってくる

【雑感】

本書自体は以前に読み終えていたのですが、その時は上手く言語化できず、読書ログもメモ書き程度になってしまいました。(ブクログという他サイトに投稿)
今回改めて読み返してみました。

前回の読書ログで「勉強の哲学」を取り上げ、生きる意味について考察しましたが、図らずも本書で新たな視点を得ることができました。


また@ほしかわ🐙 さんが取り上げて頂いた「祈り」という書籍も、本書を読む上で刺激になりました。また、株式会社COTENの深井さんがCOTENRADIOというpodcastの中で「アウトプットよりインプットが大事」という話をしていらっしゃって、これもまずは贈与を受け取ることからという本書の主張と合致するように思いました。
(サポーター限定配信での発言なのでURLは貼らないでおきます)

私は宛先として妻や子どもという愛すべき存在がいます。そして、私の生活は家でも職場でもそれ以外の場所でも多くのアンサングヒーローに支えられています。もっと贈与を受け取れるように思考や想像力を深めていきたい、それを宛先に届けられるようになりたい、そう思いました。