以前読んだ後、しばらく読書ログを作成してなかったので、再読してまとめてみました。

【要約】
勉強とは何か?について解説した本。

人間は環境=他者関係に依存している。
環境には、その環境における方向づけやお約束=コードがある「こういうときはこうするもんだ」

人間はコードから逃れられないが、別のコードに引っ越すことはできる。その方法は二つ
・コードの前提を疑うツッコミ=アイロニー「それってホント?」「そもそも・・・」
やりすぎると、何もかもを疑うことができて、議論が破綻する。
・コードの見方を変えるボケ=(拡張的)ユーモア「こういう見方もあるよね」
やりすぎると、見方が増えすぎて崩壊する。ミスチルのイノセントワールド的状態?「♪様々な角度から物事を見ていたら自分を見失ってた♪」

ユーモアの行き過ぎを止める方法は、享楽=縮減的ユーモア。自分の中にあるこだわりポイントを見つけ、深堀りしていく。
こだわる理由を突き詰めすぎると言語化できなくなり、他者と共有できなくなる。
それを止めるには、そもそも論=アイロニーに立ち戻ることが必要。「なぜ自分はここにこだわるのか?」
*自分のこだわりを見つけるための方法として、精神分析、自己分析(欲望年表の作成)などがある。

そのため、勉強するためにはアイロニー→ユーモア→享楽→アイロニー・・・を繰り返す作業が必要。
勉強に終わりはなく、絶対的な結論に到達することはない。

【感想】
アイロニー→ユーモア→享楽の三角形を実際に試してみた。

「生きることに意味はあるのか?」

(アイロニー)
生きることに意味はあるのか?と問うのはなぜか?    
自分の人生には意味がある、と思いたいから。

(ユーモア)
個人にフォーカスすれば、一つの生命が生まれ、死んでいく、そんなことには何の意味もないのかもしれない。
集団にフォーカスすれば、自分という人間の存在は、良かれ悪しかれ確実に周りに影響を与えてしまう。そういった意味で「無意味」ではありえない。

(享楽)
自分の家族(特に子供)にどんな影響を与えるか、ということにこだわりたい。
ただ、歴史を見れば、誰かの行為が後世にどんな影響を与えるのかは、誰にもわからないことは明らかだ。
どんな影響を与えるかはわからないが、それでも、私は、私の両親や周りの人がそうしてくれたように、自分の子どもに愛を伝えたい、と思う。

(アイロニー)
じゃあそもそも愛って何?愛ってどうやったら伝わるの?愛を伝えることのデメリットは?
もし不幸にも家族を失ったらどうするの?

・・・こんな感じだろうか?深堀りするなら、哲学や家族論、教育論なんかが対象になるかもしれない。