ナチス占領下のパリとピカソ←前回:ブログ最後に記事リンクあり)
ピカソ邂逅前のフランソワーズ←今回)

師と生徒:死と生
女たち
その後そして私的感想




2。ピカソ邂逅前のフランソワーズ

”父の導きで、十一歳になるまでに、ジョアンヴィル、ヴィヨン、ラブレー、ポー、ボードレールなどのおびただしい作品を読み、十四歳になる頃にはジャリの全作品を読破した。十七歳になる頃には自分の読書経験にかなりの誇りをもち、たとえ全てが本から得た知識だとしても、人生について知り尽くしていると想像するのが楽しかった。”

”何も怖いものはなく、なんでも客観的に見ることができ、自分の判断はきわめて冷静で、若者にありがちな未経験からくるさまざまな勘違いとは無縁だと信じていた。要するに自分のことを、若い娘の姿を借りた老練な哲学者だと見なしていたのだ。本文より”


比較的裕福な家庭で育ったパリっ子の彼女。十七歳の時から絵を描き始めたフランソワーズだったが、父の強い意向(絶対命令)で表向きは弁護士を目指しソルボンヌ大学で法律を専攻していた。

大方なんでも自分の想い通りに出来てしまう、そんな予想範囲内の人生の中で、絵画の制作に向かっていくとき、彼女は思い知ったのだった。

”それまでの私は、周囲の環境がこしらえてくれた安全な繭に包まれていた。人生の喧騒があまりにも遠く、くぐもって聞こえるので、現実とのつながりがすべて自分の手からすり抜けて行くような気がしていた。だが、芸術家というものは、どんな視点から作品に取り組もうと、自分の直接的な人生経験を元に描くのだということはわかっていた。

なんとしてもその繭からでなければならない。
本文より”


ピカソと運命的に出会うその少し前、フランソワーズにいくつかの試練が訪れていた。それらは、彼女の人生は始まったばかりで、まだ先は長いと悟る代わりに、残された人生は少ないという思いに彼女を至らしめた。結果的に、その想いが必然のようにピカソの元に彼女を導いていく。


十七歳から二十歳までの間、彼女は同年代の男性と激しい恋に落ちていた。彼は彼女と同じく、成長期の葛藤をうちに抱えていたが、彼との別れは喪失と挫折をもたらした。それと時を同じくしてこんなことも重なった。


ハンガリーからパリへやってきた、ある画家を師として絵画を習っていたフランソワーズだったが、ナチスによる支配が日に日に足音を増し、ユダヤ人である師の身の安全が危うくなってきた。もしも見つかってしまったらガス室に送られることは明白だった。彼女は父親になんども懇願し、師がブタペストに安全に戻れるよう手配したのだった。

彼女の理解者で友人でもあった師との永遠の別れ、そしてこの政情不安がはびこるパリでこれからどうやって絵画を続けて行ったらいいのか途方にくれた。師は別れ際にパリの東駅から電車に乗ると大声で言った。

『心配ない。三ヶ月もすればピカソと知り合えるさ』

師が別れ際に最後に言ったその言葉は、偶然にも、日付までぴったりと正確なものになった。本当に、三ヶ月後にピカソと出会ったのだから。


〜〜〜

父親に画家になると告げ、そのために大学を中退すると伝えると、フランソワーズは精神鑑定にかけられた。気が触れたと思われたのだった。あるいは、そのほうが父親には都合がよかった。自分の意にそぐわないものを幽閉し黙らせるための手段。あらゆる手を尽くされても、彼女の意思は固かった。精神鑑定も、時には脅迫の如く、当時の世間の一般論を諭し押し付けてくる精神鑑定医にも、誰にも屈しなかった。もう尽くす手が尽きた時、祖母の家に逃げた彼女を父親が追ってきた。家長である父親に歯向かう報いとして、血まみれになるまで殴られた。祖母が仲介に入り、フランソワーズと、そして祖母共々、父親から絶縁宣言された。

これを現代の視点で考えてはいけないと思う。当時はヨーロッパも封建的だった。彼女は女性にも関わらず、幼少期から高い教育を受け、その上名門大学にまで行かせてもらっている。弁護士を目指し職業婦人になれと言ったのも父親だ。そういう意味では進歩的な家庭だったのだと思う。ただし家長である父の権威は絶対で、そこに歯向かう、しかも食うあてもないようなゲイジュツに一生を捧げると決めたから大学やめますというのは許されるべき行動ではなかったのだと思う。


逆にいえば、フランソワーズの決心は、並大抵ではなかったということだ。



そして運命の時がやってきた。

画家仲間と食事中のレストランにピカソがやってきたのだった。

ボンソワール    マドモアゼル

ピカソが聞く。
君は何をしているんだい?

私は画家です。

誰に師事しているんだ?

師はおりません。でも私は、本当に    画家なのです。


それは偶然だ。僕も本当に    画家なんだ。もっとも君が生まれるずっと前から絵を描いているが。

よかったら一度、僕のアトリエを見にきなさい。
作品を見せてあげよう。


ピカソはすでに世界的に有名な画家だった。誰もがその名を知っている。そしてまた、誰もが、

彼の手に触れられた女が、もとの通りでいられないことを、知っていた。


ほどなくして前述の画家友達とともにアトリエに行った。

若い女の子をからかうような、どうでもいい軽いトーク。アトリエの中は案内してくれるが、肝心の作品には話が触れない。

自分たちは、一枚の絵も見せてもらえず帰されたら、もう2度とここへは来ない。

と心に決めつつあったとき、彼はようやく広い方のアトリエに案内し絵を見せ始めた。

”また来たかったらいつでもどうぞ。ただしメッカに来る巡礼のような態度だけはやめてくれ。私のことが気に入ったから、一緒に過ごすのが面白いからという理由で
飾らない率直な付き合いをするために来てくれ” 本文より

帰り際ピカソがそう言った。

友人は絵の修練のため、
彼女の師が住むパリ郊外にほどなくして旅たった。

1週間ほど逡巡したあと、フランソワーズはひとりで、
ピカソのアトリエに向かった。



次回へ

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前回分です。「ピカソとの日々1。」