◎はじめに


こんにちは!ダッチです。


今年もそろそろ終わりなので、自分の中で感じた思いを棚卸しすることで来年をスッキリとした気持ちで迎えたいなと思い、ブログを書いています。


◎自身の読書法について抱いた疑問



突然ですが、皆さんには「座右の書」はありますか?


僕には、座右の書はありません。


理由はいくつかあるのですが、端的に言えば、


どの本も素晴らしいと感じてしまうから


です。

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そもそも僕は結構チョロいので、本を読んだその直後に感激してしまうことが多いです。もちろんそうでない場合もありますが、何かしらポジティブな感情を抱くことが多いです。さらに付け加えて言えば、自分が本を読んで感じたことを整理して、自分の思想体系に落とし込もうとする場合も多いです。



自分の場合はそうした行為を通じて、「自分の思想が固まった!」と納得して、1日2日は生き生きと生活を送ることができるのですが、時間が経つにつれて本を読んだことによって得た感動が薄れ、しまいには自分で作り上げた思想体系に疑問を抱き、あっさりそれが崩壊する、という連鎖を何度も何度も繰り返しています。(だから、座右の書がないのだと思います)

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自分自身「最初はそんなもんか」と思っていましたが、読んでも読んでも、考えても考えても自分にとっての最適解は生まれないという葛藤を通じて、次第に「読書にはゴールなんてないんじゃね?」と感じるようになりました。


そもそもLIBERに入った当時の自分は、「自分の人生をより良いものにしたい」という動機で本を読むことが多い人間でした。(最近は純粋な娯楽・趣味として読むことの方が多いです)
過去のブログを見ても、それが如実に現れているなぁ、と今振り返ってみれば感じます。
(恥ずかしすぎていくつか消したブログもあります😂)


しかしながら、そうした目的で読書をしていても、自分の目的にたどり着くことがないのではないか、という疑いが徐々に自分の中に生まれてきていました。

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試しに具体例を挙げてみたいと思います。僕は『論語』や『老子』が好きです。内容についても概ね共感できるものですし、素晴らしいものだと感じています。両方とも自分の人生に活かしたい、と心から感じることのできる一冊だと思っています。


しかし、よくよく考えてみてください。『論語』と『老子』の内容は対極とまではいかなくとも、その主張内容が大幅に異なっています。老荘一派は孔子教団を批判しがちなことを考えても、その主張内容には大きな対立が生まれてしまうことが想定されます。


また、私たちの多くは『論語』の内容にも『老子』の内容にも、ある種真実味を感じるし、その内容を有難がっているとも思います。


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実際にLIBERのメンバーさんの中にも、主張内容が正反対である『ツァラトゥストラ』と『老子』の両方が、『自分の中に毒を持て』と『あやうく一生懸命生きるところだった』の両方が大好きな方もいらっしゃるのではないか、と思います。
(ちなみに僕は『自分の中に毒を持て』と『老子』は読んだことがあるのですが、両方とも大好きです)


これらの点を踏まえると、主張内容が矛盾しまくっている本を大量に読んで、どの本にも感銘を受けて、それら全ての本から学びを得て、自分の思想体系を築いて、人生をより良くしていこう...と考えると、


僕にとってはそうした試みは、非常に厳しいものなのではないか、と感じるようになってしまいました笑   

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仮に、自分の思想体系に『自分の中に毒を持て』の主張を組み込もうとすると、それは意図せずとも『自分の中に毒を持て』と対立する『老子』の主張を削ぎ落とすことに繋がります。


どちらかの思想に全振りしている人だったらそれでもあまり問題はないと思いますが、どちらの思想にも共鳴している人からすると、これは地獄の選択です。


自分はどちらの人生も幸せだと思う。しかし、自分の思想を築いていく上では、そのどちらかを削ぎ落とさなければならない。

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一時的には、読んだ直後の本を主因として分泌されるドーパミンによって、それも可能になるかもしれません。


しかし私たちは、本を読み終わった直後だけでなく、その先の長い時間を生きていかねばなりません。
そんな中で『自分の中に毒を持て』『老子』の双方に共感を抱いている自分にとって、「どちらかの思想を選び取らなければいけない」というお話はなかなか厳しいと感じてしまうのです。


長々と説明してきましたが、これらの過程を踏まえて、僕は以下のように感じました。


読書を通じて、自分の視野を広げ、独自の哲学を築くことで「人生をより良くしていこう」という営為は、自分にとっては非常に厳しいものであるのではないか、


と。

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◎山口尚『幸福と人生の意味の哲学』を読んで



そして、自分が抱いていたこのような疑いは、Kentoさんにオススメして貰った『幸福と人生の意味の哲学』という本を読んで、より鮮明になりました。

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この本の内容を超エクストリームに要約すると、以下のような内容になりました。

・自分の中で「幸福」や「人生の意味」を定義しようとすると、自分にとって大切な「他の何か」が削ぎ落とされてしまう。

・ゆえに「幸福」や「人生の意味」は「語り得ぬ」ものであり、「超越的」な次元に存在するといえる。

自分の中から聞こえてくる神秘的な「超越」の声を信じて、自分の求める「何か」を追い求めて生きることで、あらかじめ予期し得ないような、星座のように美しい「何かしらの意味」が形作られる。


(※ここまでは山口さんの主張、ここからは山口さんの主張を踏まえた僕の解釈です)



つまり、自分の中での「幸せ」や「人生の意味」など、あらゆる事象を定義づけし、権威付けしてしまうと、それは他の自分の大事なものを削ぎ落としてしまうことに繋がる。


そしてそもそも「幸せ」や「人生の意味」などの諸概念は、一言で定義できるほど単純なものではない。
これらの概念は、言葉では「語り得ぬ」ような深淵な意味を有している。


だからこそ、自分にとっての「幸せ」「人生の意味」等のあらゆる事柄に対して早急に答えを出そうとせずに、
自分の「感覚」「直感」を信じて生きていくことで、自分だけの「幸福」や「人生の意味」は作り出されるのではないか。


もっと言えば、「幸せ」「人生の意味」等のあらゆる事柄に対して早急に答えを出してしまうことは、自分の「語り得ない」次元にある「幸せ」「人生の意味」を、自分の「無限」の可能性を封じることに繋がってしまうため、


自分の「無限」の無意識から聞こえてくる「感覚」「直感」「超越的神秘」のすべてを受け止め、その感覚に従って生きていくことが、自分の「語り得ない」幸福を実感するためには望ましいのではないか。


と、山口さんは主張しているのではないかと僕は解釈しました。


そして、あえて一言で言えば、山口さんは

「自分の直感や感覚に従って生きようぜ」



と主張しているのではないかと感じました。


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◎「感覚的に生きる」ことの大切さ



そして僕は、直感や感覚を頼りに生きていると推測できるような、自分の周囲の人たちについて、思い浮かべてみました。


そうすると、みんな中々幸せそうだし、人生うまくいっている人が多いのではないか?と感じました。


試しに僕の母を例に考えてみたいと思います。


僕の母は、基本的には主婦をしながら、パートタイマーとしても働いている世間から見ればフツーのおばちゃんです。友達も多すぎず少なすぎず。趣味にもめちゃくちゃ熱中しているというわけではなく、かと言って何もしていないわけではない。本当にフツーのおばちゃんだな、と感じています。

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そして母は、頭では何も考えず、気がついたら行動してる人。ノリと感覚で生きてる人。嫌なことはすぐに忘れる人。人の悪口は基本言わない人。(愛のあるイヤミはよく言われます笑)
すごく誠実な人。誰にでも愛を持って接することのできる人。そして何よりいつもすごく幸せそうな人。ムカついても喧嘩するのがバカバカしくなってしまう人。僕の母はこんな人です。


先述したように、母は別に賢くもなく、頭で考えようとしない、感覚で生きている人です。でも母はめちゃくちゃいい人だし、いつも幸せそう。僕からしてみれば、老子の言う「足るを知る」を体現している人に見えます。そして何より、僕はそんな母をめちゃめちゃ尊敬しています。マジでこの母エグすぎでしょ...と心から思います。(語彙力崩壊してしまってすみません)

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母以外にも自分の頭の中に思い浮かんだ、感覚に従って生きてるんだろなぁって人は上手くいっているし、幸せそうな傾向にあるのではないかと感じました。
(そして、逆も然りだと感じています)
(めっちゃ主観的な主張なので、どんどんツッコんでくださると嬉しいです)



そして何より、自分にしてもそうだと思います。何も考えずにバカしてる時、周りの人と楽しんでいる時、何も考えずに夢中になっている時の自分が一番幸せだと思うし、好きです。
読書や勉強でゾーンに入っている時の自分も大好きなのですが、それは頭を使うというよりも、自分の感覚を最大限に研ぎ澄ませることで、頭の中にある知識をフル活用しているという感覚に近いように思います。

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逆に自分にとっては、変に頭を使おうとする時、頭をこねくり回して意思決定をしようとした時などに、上手くいった例は非常に少なかったなと記憶しています。


就活も最初はバリバリ考えを固めまくってましたが、あまり細かいことを考えすぎずに自分の感覚に従った方がうまくいきましたし、


高校の頃にやっていた部活も、当時の自分からしてみれば、理屈で考えればどう考えても辞めた方がいいなという状況でしたが、「これは辞めない方がいい」という自分の感覚を信じたおかげで、部活を最後まで続けられ、最高の思い出を作り上げることができました。


(また、以前LPPでtorajun さんからタロットリーディングを受けた際に、自分の直感を信じる事が大切だと言っていただいたことが、感覚を重視した方が良いという考えを割とすんなり受け入れるきっかけになったのかなぁとも感じています)

◎感覚の欠点



しかし、感覚にも欠点はあります。


それは、


人の心に無頓着で、人を傷つけてしまいがち



な点だと思っています。


例えば「ドラゴンボール」の孫悟空。ご存じの方も多いと思いますが、実は彼、「オラ、ワクワクすっぞ」を行動原理としている超フィーリング人なんです。彼は修行がしたいがために、育児も労働も放棄。妻のチチはそんな悟空にイラついてるし、他のZ戦士もそんな悟空にはちょっと引いてる。しかし、悟空はそれで悪いと思ってない。むしろめっちゃ幸せそう。本当に困ったもんです。悟空の場合は地球を救ってくれたからそれでも許されるかもしれませんが、一般人だとただのど畜生です(笑)

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そして例に漏れず、自分の友達にもまさにそのタイプの人がいます。その人は、自分の感覚を中心にして生きているために、「自分の楽しさ=みんなの楽しさ」と勘違いしてしまっている。それでもその人と一緒にいる時は楽しい場面が8割型ですが、残りの2割は、その子だけ盛り上がって、自分含め他のメンバーはだいぶ冷めてる(笑)みたいなことが結構起こってます。

   

そして僕の知り合いの中には他にも、感覚に従って生きることで、幸せそうな人もいれば、大失敗してしまっている友達もいます。


なので、「感覚的に生きる」ことが一概に正解とも言えないのではないか、とも思います。

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◎結論



「じゃあ、お前にとっての結論ってなんやねん」という話になってくると思うのですが、
それでも僕自身は「超越的な神秘に従って、無限の生を生きること」が重要なのではないかと感じています。


もちろん悟空や先程紹介した自分の友達のように「自分の気持ち=他者の気持ち」と勘違いしてしまうと、人を傷つけることに繋がってしまいますし、感覚を使いこなせないと、最後に紹介した友達のような目に遭ってしまうことになりかねない。それは事実だと思います。


しかしながら僕は「超越的な神秘に従って、無限の生を生きること」は、自分の「語り得ない」ような人生への可能性を無限に開く事に繋がるだけではないと考えます。無限の可能性を開くということは同時に、それはあらゆる物事をアイロニカルに取ることとも、あらゆる物事を真実だと取ることとも解釈できるように思うのです。


そう考えれば、超越的神秘に従って生きるということは、自分の「語り得ない」人生の可能性を無限に開くだけでなく、自分の感覚に対して常にアイロニカルに疑いを向けることや、他者のあらゆる可能性を肯定することもできるような地平に自分の身を置くことだと考える事ができないでしょうか。


この結論に納得がいかない方もいらっしゃるかもしれません。それは分かりますし、納得もできます。でも僕は、無限の可能性に包まれて生きていたい。孔子にも老子にも、岡本太郎にもハ・ワンにも、ニーチェにもショーペンハウアーにも包まれて生きていたい。だからこそ、変に思想を作りたくない。無限の思考の中で、無限の生の中で、自分らしく生きていきたい。そうする事で、「語り得ない」ような深みのある人生を送りたい。


そして、他の人の考え方も批判する事なく肯定したいし、自分の考え方はあくまで自分にとっての真実にすぎないと考えたい。そして自分にとっての真実ですらも完全なものではないと感じていたい。そうしなければ、自分の生き方も、他者の生き方も、国や世界のあり方も、限定的なものになってしまいかねないから。無限に生きたいから。


このように感じました。

(なんか味気ない終わり方になってすいません🙇)

◎おわりに


皆さん、いかがでしたでしょうか?笑笑


だいぶ主観が入りまくったブログになってしまったので、違和感を感じた部分などありましたらどんどん突っ込んでくださると嬉しいです☺️


最後まで読んでくださりありがとうございました!